近年、恋人ができたことで話題のお笑い芸人、アンガールズ田中卓志さん。
ただ、明るい話題ばかりではなく、2021年にはお母さんを亡くされていたそうです。
今回はアンガールズ田中さんのお母さんについての紹介です。
アンガールズ田中卓志は最愛の母を2021年に亡くしていた!
田中卓志さんのお母さんは2021年の春に亡くなられています。
2022年9月にその事実が明らかになっていますよ。
お笑いコンビ「アンガールズ」の田中卓志(46)の最愛の母が昨年春に亡くなっていたことが分かった。
引用:スポニチアネックス
2022年9月16日放送の「金スマ」で、田中さんのお母さんの死について取り上げられることとなり、話題に。
お母さんの最期はあまりに突然のものだったそうです。
生粋のお母さんっ子だった田中だったが、母との別れはあまりに突然のものだった。母との最期の日々。田中の後悔。
引用:ORICONNEWS
お母さんの死から一年以上既に経っているのですが、この一年間の田中さんというと恋人ができ浮かれているような姿が目立っていましたから、
この事実に驚いた人も多かったのではないでしょうか。
アンガールズ田中卓志と母親の感動エピソード7選!
田中さんとお母さんとのエピソードについて紹介します。
ここでは、以下のようなエピソードを取り上げます。
- 三兄弟を育て上げる
- 息子の前で裸で歩く?
- 母親を騙して芸人の道へ
- 毎月のしおくり
- 息子のキモ芸に飽きた?
- 実家のツバメの話
- おしゃれイズム出演に感動!
- お弁当の話
一つずつ見ていきましょう!
①三兄弟を育て上げる
田中さんは三兄弟の次男として生まれました。
お父さんは当時は地元の「マツダ」に務めており、お母さんは結婚前は大阪で看護師をされていたのだとか。
結婚後は、夜勤で不規則なシフトもありながら男三人を育て上げたお母さん。
何かと苦労もあったと思いますが、とても立派なお母さんですよね。
ただ、そうならざるを得ないというか、三兄弟の母親となるとお母さんはやはりパワフルな方。
おまけに少し独特な感性の持ち主でもあったようで……
②息子の前で裸で歩く?
男兄弟しかいないということで、お母さんは息子たちに「女性の体に慣れさせる必要がある」と考えていたそう。
その方法として、なんと息子たちの前を裸で歩く、という策をとったんです!
「うちは男兄弟しかいないから、女の体に慣れさせるため」というのが、その理由。なんと、田中が18歳になるまで、この教育は続いたらしい。
引用:ORICONNEWS
18歳までとは、なかなかに強烈な……
せめて何かの役に立っていればまだよかったのですが、少なくとも田中さんは学生時代から女子にはあまり縁のない人生。
芸人としてブレイクして以降も「女性全般」に対して被害妄想じみた言動を見せるなど、女性に対する態度は割とさんざん。
恋人ができたキャラクターとして認知されるのは45歳前後になってからというありさまで、田中さんだけ見ると「寧ろ逆効果だったんじゃ……」という感じです。
当然、当時の田中さんはお母さんのこの行動を「めっちゃ腹立った」と回想していますよ。
③母親を騙して芸人の道へ
その後、なんやかんやで広島大学を卒業、内定ももらっていたという田中さん。
しかしお母さんに「東京の大学院に行く」と告げて上京、二年間音信不通になっていました。
実は、大学院に行くなんて嘘。
当時の田中さんは芸人を目指して活動、しかし事務所にも所属していないという状況でした。
「広島の本当に田舎の方だから、東京のこととか知らないし、騙せちゃうんですよ」といい、プロの芸人を目指していたという。
引用:スポニチアネックス
三年目の6月、連絡のない息子を心配したお母さんが東京までやってくると、そこで田中さんは観念し、真相を告白。
お母さんは膝から崩れ落ち、大層悲しまれたそうです。
母が涙を流しながら『わぁ、どぉしてぇ?』って、ひざから崩れ落ちて。あんな悲しいお母さんの動きを見たことなくて
引用:スポニチアネックス
父は「連れて帰れ」と激怒、祖母は「(息子が芸人をやっていると)誰にも言ったらあかん」と、一歩間違えれば破門の勢い。
田舎暮らしだったこともあり、周りの目も辛かったとお母さんは語られています。
幸い田中さんは芸人世界で言えばブレイクが早かったですが、お母さんは息子が芸人の道へ進んだことを、ともすれば最期まで許していなかったのかも。
許すもなにも仕方ないというか
あきらめて帰ってくると思って、その時は帰ったけど
引用:DRAGON JOURNAL
その後、田中さんのお母さんは「NGナシ」と噂される程に頻繁にテレビに出るように。
テレビでは割とひょうきんなお母さん、前述のエピソードなどからも「明るい、テレビ向きの人なのかな」と思いきや、
実は「自分がテレビに出演したいわけではない」と語られているんです。
バカ息子のためにね。私がでて、1本でも番組が成立すればいいと思って。
もう出たくないのよ。
引用:DRAGON JOURNAL
2018年の取材でも、「よく頑張ったからもういいんじゃないか」「今以上のことを出来そうもない」と田中さんに帰ってくることを願っていたようでした。
④毎月のしおくり
貯金額などが度々話題になり、テレビ番組でも「金はある」と公言されている田中さん。
毎月のようにお母さんにしおくりを送り、正月にはお年玉なども送っていたそうです。
仕事か何かで車が当たった時にはお母さんに送ろうとされたのだとか。
「お母さんクルマが当たったから」ってときは、いらないと断りました。軽トラで十分。謙虚に!
引用:DRAGON JOURNAL
ただ、その車に関してはお母さんから断られたようですけどね。
⑤息子のキモ芸に飽きた?
息子と一緒にテレビ出演することも多かったお母さん。
その際のお母さんの発言は、基本的に息子に辛口です。
なかでも、長く「キモキャラ」として出演し続けていることに「飽きてしまった」と言って田中さんのアイデンティティを崩しにかかったことも。
「アンガールズのライブは面白くないから見に行かない」「顔が気持ち悪い」などのかなりキツめな言葉もありました。
田中さんは周りから弄られて笑いを取るタイプの芸人なので、お母さんの言動はテレビ的にはある意味大正解とも言えますが……
お母さんの息子のお笑い活動に対してのスタンスは、複数の情報を総合して考えるに一貫して否定的だったものと思われます。
田中さんの芸風自体、悪口だったり汚い言葉遣いだったりが目立ち人を選ぶものですから、面白くないといった発言も本心からだったのかもしれませんね。
なお、田中さんはお母さんの苦言に対して「仕送り
仕送りには、自身の活動に反対的なお母さんに対して活動を見逃してもらうような意味合いもあったのかもしれません。
⑥実家のツバメの話
田中さんの実家には、毎年ツバメが巣を作るのが恒例なのだとか。
家の中に巣が作られるなんて、珍しい話だと思いませんか?
ツバメがやってきて軒下などに巣を作るというのはよくある話だが、田中家は何とリビングやダイニング・ルームにツバメがやってきているのだ。
引用:スポニチアネックス
上の画像が、正に田中家に作られたツバメの巣。
毎年ツバメが巣を作るたびに、お母さんから田中さんにツバメの写真や動画が送られ、それを田中さんがSNSなどで報告するのもまた恒例行事なんです。
母の「どう、今年の仕上がり具合?ばっちし?よろしくね」という声とともに、壁を新聞紙で養生した室内で、天井からつるされたハンガーや、時計の上に止まる様子を紹介
引用:スポニチアネックス
田中家一同はツバメに対して好意的に接しているようで、田中さんは「長旅ご苦労さまです」とコメント。
ファンの方々も「ほっこりする」と毎年この報告を楽しみにされていたようでした。
⑦おしゃれイズム出演に感動!
お母さんは藤木直人さんのファンなのだそう。
そのため、田中さんは親子共演の中でも「おしゃれイズム」の芸人親子スペシャルに出演できたことが印象に残っているようです。
なんでも、「良い恩返しにになった」とか。
「母が藤木直人さんのファンだったから、喜んでましたね。それで、なんとか恩返しができた」と、笑っていた。
引用:スポニチアネックス
苦しい思いをすることも多かったでしょうから、田中さんが芸人の道に進んだことでお母さんにも何かいいことが一つでもあって、良かったですよね。
⑧お弁当の話
田中さんとお母さんとのエピソードの中で最も有名なのが、お弁当のエピソード。
「はねるのトびら」という番組で、芸人の母の弁当の良さで競うという放送回があり、その企画に田中親子も参加されたんです。
田中さんのお母さんのお弁当は、残念ながら最下位に。
食した女性タレントからはシンプルに「まずい」といった評価も。
「冷凍食品が多くて愛が感じられない」といったものもありました。
企画の趣旨は、子どもが学校に通っていた当時の弁当を再現するというもの。
放送当時は2011年、今ほど冷凍食品への理解も広まっていなかったのかも。
流石のお母さんも落ち込んでしまい、そこで田中さんが激怒!
夜勤で不規則なシフトで疲れてるから、冷凍食品も入るんだよ!
それがなんでダメなんだ!見ろ、母ちゃん、うまいぞ
引用:スポニチアネックス
母を思っての田中さんの言動に、田中さんのお母さんは勿論他の芸人のお母さんからも涙が。
時には裏切り、多分に迷惑をかけたこともありましたが、それでも田中さんにとっては大切なお母さんだったんですね。
まとめ
今回はアンガールズ田中さんのお母さんについての紹介でした。
互いに大切に思いながら、それでも田中さんとお母さんとの間にはすれ違いもあったのでしょう。
息子のお笑いや、その実力について否定的だったからこそ、お母さんは「出たくない」と言いながら息子の力になるために頻繁にテレビにも出演されたのかもしれません。
突然の別れとなり「後悔も残る」という田中さん。
それでも一年以上、ショックを表に出さなかったのは芸人としての矜持なのかもしれません。