日本プロ野球の2021、2022シーズンでセ・リーグ連覇を成し遂げた東京ヤクルトスワローズ。
連覇の原動力となったのは若き主砲、村上宗隆選手です!
2022年にはなんと打率、打点、本塁打という打者主要タイトルで一位を獲得、いわゆる「三冠王」に輝き、名実共に現代の最強打者となりました!
今回はそんな村上選手の兄弟について紹介します。
村上宗隆の兄弟構成まとめ!
村上宗隆選手の兄弟構成は以下の通り。
- 長男:友幸さん
- 次男:村上宗隆選手
- 三男:慶太さん
お兄さんと弟さんがいらっしゃる村上選手ですが、三兄弟全員が野球をしている野球一家でもあるんですよ。
ちなみに大柄な村上宗隆さんの兄弟の身長はと言うと・・・
- 友幸:193㎝
- 宗隆:188㎝
- 慶太:190㎝
皆さん凄まじく大きい上にまさかの村上宗隆選手が一番小さいんです!
では一人ずつ詳しく見ていってみましょう!
村上宗隆の兄はどんな人?
村上宗隆選手のお兄さんである友幸さんは、現在は2020年に硬式野球部が設立された「テイ・エステック」で社会人野球選手をされています。
プロフィール等は以下の画像の通り。
年齢は村上選手の二つ上、193㎝という高身長を誇る大型ピッチャ―として高校時代から注目された選手でした。
ストレートの速度は最速148キロ、この高さから力のある速球を投げられたなら打者にとっては脅威となることでしょう。
しかし高校時代最後の試合では先発を任されながら1回を投げられず降板、コントロールが定まらず自滅していたとか。
真っすぐに対するこだわりが非常に強くて、四球を出しても150キロ近い速球を投げれればいい。今、考えれば、自己中心的で、チームのことを考えていない投手でした
引用:高校野球ドットコム
以降考え方を変え、チームのことを考えられる投手になりましたが、しかし大学では今度は怪我に悩まされることに。
4年春までリーグ登板の機会を得られず、4年秋の地区大会や神宮大会では先発を任される機会もありましたが、最後の登板では結果は奮いませんでした。
安藤監督を胴上げしたい思いでマウンドに登りましたから。負けたくない試合でしたし、悔しかったです
引用:高校野球ドットコム
友幸選手の野球人生は苦難の多いものだったと見えます。
しかし彼は今も野球を辞めてはいません。
弟の存在は重しにも、励みにも
大学地区大会の決勝で先発を任されることを知った友幸さんは、村上選手に連絡をしたそうです。
安藤強監督(55)から、前夜に先発を伝えられた。「ビックリしました」。弟にも伝えると「頑張って」と激励のLINEが届いた
引用:日刊スポーツ
インタビューで弟のことを聞かれた友幸さんは、村上選手のことを、
「ずぶとい男、いつもポジティブ」
と評されており、仲はそれなりに良かった様子が見て取れます。
一方で村上選手の存在が友幸さんの重荷になることも……。
4年春が終わった後、友幸さんは野球を辞める旨を監督にも話されていました。
その理由には弟の存在も確かにあったようです。
もう弟と比べられるのがしんどかったですね。取材があれば、弟、弟。投げていても弟だったんです。だから監督さんに4年春が終わった後に野球を辞めますと話したんです
引用:高校野球ドットコム
プロの世界でも若くして頭角を現し始めた村上選手。
大学野球で苦しんでいたお兄さんの元に弟の話を振られると、やはり兄として苦しい気持ちもあったことでしょう。
しかし友幸さんのポテンシャルを高く評価していた監督はその決断に反対。
「進路は何とかするから、続けろ」と友幸さんを野球の世界に留まらせたんですね。
野球を諦めなかったからこそリーグ戦初登板も実現し、そして社会人野球を続ける道もできた。今では弟と同じプロの舞台でプレーすることに燃えている。
引用:高校野球ドットコム
2019年秋公開の記事では、友幸さんは弟と同じプロの舞台でプレーすることに燃えているという記述がありました。
友幸さんはピッチャーですから、村上選手と文字通りの兄弟対決もあるかもしれません!
村上宗隆の弟はどんな人?
村上宗隆選手の弟、慶太さんは2022年夏の甲子園大会にも出場された高校球児でした。
プロフィールは以下の通り。
年齢は村上選手の5学年下。
村上選手と同じ高校である九州学院に進み、村上選手が一年生だった時以来、7年振りの甲子園進出に貢献しました。
村上宗隆内野手(22)の弟・慶太内野手(3年)が三回に先制打を放って勝利に貢献。兄が1年生だった2015年以来、7年ぶり9度目となる夏の甲子園出場を決めた。
引用:サンスポ
190㎝という恵まれた体格で、兄を彷彿とさせる長打力を誇る慶太さん。
2022年10月の栃木国体でもホームランを放ち、プロ入りをアピールされています。
そう、慶太さんもプロ志望届を提出し、2022年のドラフトで指名されればプロ野球選手となる身なんですね!
お兄ちゃんに相談したときに『可能性があるならば挑戦しろ』と。覚悟を決めて、挑戦してやろうと思いました
引用:YAHOO!JAPANニュース
甲子園でも4番を任された慶太さんですが、一方で大会内でも課題が露呈しドラフト指名があるかどうかは始まってみないと分からないという段階。
兄の後押しもあり、プロを目指した慶太さんの未来は果たして……!
兄の支えを受けて甲子園で躍動!
4つの年の差がある慶太さんと村上選手、ですが仲は良好なようです。
宗にぃと背比べすると、自分が勝つんです!
ゲームも宗にぃよりうまいっすよ! 自分が勝ちますよ!
引用:Number Web
「宗にぃ」なんて呼んでいることからも距離感の近さが察せられますね!
また、アドバイスの他にも村上選手からオーダーメイドのファーストミットを貰うなど、様々な協力を受けていたという慶太さん。
村上選手はかなり面倒見のいい方のようです。
結果で恩返ししようと思っていたんですけど、恩返しすることができなくて本当に悔しいです。いろいろしてもらったことに関しては感謝の気持ちでいっぱいです
引用:サンスポ
志望届を出されたからには、是非ともプロの舞台での競演が見たいです!
村上宗隆の幼少期のエピソードも紹介!
画像は幼少期の村上宗隆選手。
子どもの頃から今の面影が見えるような気がしますね!
なんでも3歳の頃からプラスチックのバットを持って素振りをしていたという村上選手。
右利きだったものの、誰に言われるでもなく左で振り始めたのだとか。
お父さんは、テレビで見た松井秀喜選手やイチロー選手などを真似して左で振り始めたのかもと仰っています。
兄に連れられて入団
4歳からはスポーツクラブで野球をすることに。
お兄さんに連れられて入団したんだそうです。
今では怖い物ナシという感じの村上選手ですが、子どもの頃には当然微笑ましいエピソードも。
軟式球を使ったキャッチボールを捕り損ねて鼻血を出し、練習に行くのを嫌がっていた
父は「男なら一度やると決めたことは最後までやり通せ」と言って背中を押した
引用:日刊ゲンダイ
父の教えを守り、その後も野球を続けた村上選手。
小学校高学年になるころには、自宅の庭で一時間に渡って黙々とバットを振り続けるなど、本格的に野球にのめり込んでいったとのことでした。
幼少期から三兄弟は規則正しい生活をしていた!
村上選手が偉業を達成し、子育てについて注目が集まる村上家。
父親は村上家では幼少期から特別な教育やしつけは一切してこなかったと強調します。
ただ『よく食べて、よく寝る』これを子供にとっての基本を徹底させたそうです。
「やっぱり『早寝早起き』かな。今でも3兄弟とも寝るのは得意。それと熊本の水は最高。水がおいしいと食事がおいしい。3兄弟とも普通の人の倍以上は食べていた」
小、中学生のときは午前7時頃に起床し、就寝は午後9時。
そのおかげか3兄弟とも中3から高校にかけて一気に身長が伸び、また食事の作法、あいさつや返事には厳しく、小学6年間は書道にも取り組んだそうです。
やはり早寝早起きは体にいいんですね・・・!
まとめ
今回は村上宗隆選手の兄弟についての紹介でした。
2021年に行われた東京五輪でもメンバーとして名を連ねた村上選手は、2022年侍ジャパン強化試合のメンバーにも名を連ねています。
当然2023年開催のWBCにも主要メンバーとして選ばれることでしょう。
今後の活躍も楽しみですね!