カタールワールドカップで日本代表に選抜された、久保建英さん。
久保建英さんといえば、若干9歳でバルセロナの入団テストに合格した逸材ですよね。
そんな久保建英さんは、両親の熱心な教育方針を受けて育ったといわれています。
そこで、今回は久保建英さんの家族について調べていきたいと思います。
久保建英の家族構成まとめ
はじめに、久保建英さんの家族構成を確認していきます。
- 父親・建史(たけふみ)さん
- 母親
- 久保建英さん
- 弟・瑛史(えいじ)さん
久保建英さんは、両親と弟の4人家族で育ちました。
6歳年下の弟・瑛史さんもサッカーをしており、横浜・F・マリノスジュニアユース(U-15)に所属しています。
兄弟揃ってサッカー選手だったんですね。
ここからは、1人ずつ詳しく見ていきましょう。
久保建英の父親・久保建史はどんな人?
久保建英さんの父親は、久保建史さんといいます。
年齢は、1971年生まれの50歳。(2022年現在)
職業は、大手住宅メーカーのミサワホームに勤務し、総務人事部長兼BR働き方改革推進室担当室長兼務を務めています。
一説によると、年収は1千万円以上なんだとか。
実力はもちろんのこと、久保建英さんが小学4年生でバルセロナへサッカー留学できたのは、安定した経済力があったからだったんですね。
名門大学出身
和歌山県出身の建史さんは、中学、高校とサッカー部に所属。
大学は、筑波大学体育専門学群に進学しています。
本学群では体育・スポーツ・健康に関する最新の科学的研究結果を生かしながら、指導力と活力に富む、人間性を持った指導者の養成を目指しています。
卒業生は保健体育教員、地域体育保健指導者、スポーツ・コーチ、報道・出版関係で活躍。
大学でもサッカー部に所属し、地域の少年サッカーの指導にもあたっていました。
筑波大学といえば、名門大学かつサッカーの強豪としても知られていますよね。
建史さんはプレイヤーとしても優秀だったのかもしれませんね。
父親は子煩悩
建史さんは、筑波大学卒業後、ミサワホーム株式会社に入社。
結婚して久保建英さんが生まれると、
- 自分は親として何ができるのか。
- サッカーなら親子一緒に楽しめるかもしれない。
と、考えるようになったそうです。
そこで、久保建英さんにサッカーを教えるために、東京都稲城市の坂浜サッカークラブでコーチを始めることに。
久保建英さんが2歳になると、ボールに触れさせるようになり、ほぼ毎日出勤前にボール遊びに付き合っていたといいます。
年間で数えると350日一緒に遊んでいたんだとか。
なかなかできることではありませんよね。
建史さんとの楽しい思い出が久保建英さんのサッカーのルーツになっているのかもしれませんね。
久保建英の母親はどんな人?
久保建英さんの母親は、一般の方の為、プライベートな情報は公表されていません。
しかし、試合前のセレモニーで久保建英さんと記念撮影をした写真がありました。
とても綺麗な方ですよね。
現在は、専業主婦であるといわれています。
息子達と共にスペインへ移住
前述の通り、久保建英さんは、小学校4年生の時にバルセロナの下部組織カンテラへ入団しています。
それに伴い、母親と弟の瑛史さんも一緒にスペインへ移住をしました。
その際、父親の建史さんは、仕事のため、単身で日本に残っています。
当時9歳だった久保建英さんと3歳の瑛史さんを抱え、異国の地での生活は大変な苦労があったのではないでしょうか。
久保建英さんの夢のために海外移住という大きな決断をした、芯の強い女性だったんですね。
母親は東大卒?
久保建英さんの母親は、東大卒ではないか?と噂されているようです。
そこで、調べてみたところ、東大卒という情報は見つかりませんでした。
では、なぜそのような噂が流れてしまったのでしょうか?
それは、後述する
- 教育方針
が、理由でした。
教育熱心な一面から「母親は東大卒で頭がいいのでは?」と噂になったようです。
久保建英の両親の教育方針は?
久保建英さんの両親は、明確な教育方針をもって子育てをしてきたそうです。
久保建英さんや瑛史さんを育てた教育だけあって、気になる方も多いですよね。
父親の建史さんは、2012年に、これまでの子育ての経験をまとめた著書本、
「おれ、バルサに入る!」
を出版。
中古でも高値で取引されるなど、注目度の高さが伺えます。
ここからは、そんな本の中から、以下の順に教育方針を紹介していきます。
- 親はサポート役に徹する
- 次男のように育てる
- 家の居心地を悪くする
- 絵本の読み聞かせと質問
① 親はサポート役に徹する
建史さんは、子どもがどんな突飛なことを言っても、その考えを尊重し、何事にも本気で向き合うようにしていました。
これは、子どもに自ら考える自主性を身に着けさせるために行った方針なんだそうです。
久保建英さんの場合は「バルサに入りたい」でした。
また、子どもが何かを選択する時も、気持ちを最大限尊重してあげることが重要だとしています。
自主性を育むことにより、子どもの興味の幅やチャレンジ精神も培われますよね。
② 次男のように育てる
これは、久保建英さんの母親の考えによるものなんだそうです。
実際に母親は次女、建史さんは長男であり、
- 長男は周りを見て、すぐに行動できないところがある。
- 次男であれば年上であり、兄という例がいるので、自分の気持ちをストレートに表現しやすい。
という、実体験から得た方針なんだとか。
また、
男の子は、自分の思い通りに身体を動かせることが自信につながる。
という考えから、久保建英さんは、積極的に年上のお兄さんと遊ぶ環境に置かれ、自ら学習をして行動することを学んでいったそうです。
③ 家の居心地を悪くする
久保建英さんの両親は「外遊びするためには、家の居心地が良くてはいけない」と考えました。
具体的には、
- 家でテレビを見せない
- おもちゃを与えない
- リビングにはソファーを置かない
- 外では裸足で遊ばせる
と、いったことを実践していたそうです。
足裏への刺激は、子どもの成長に大きく影響を与えると言われていますよね。
体幹や足裏の感覚を鍛えるためにも、裸足にさせることを意識していたといいます。
また、家の中には常にボールを置いて、いつでも蹴られる環境を作っていたのだとか。
さらに、家以外の環境に慣れるためにも、お泊まり合宿に積極的に参加させたり、1人で友達の家に泊りに行くという経験もさせたそうです。
幼い頃から適応能力を高めていたことが、移住へのチャレンジにもつながったのかもしれませんね。
④ 絵本の読み聞かせと質問
久保建英さんの両親は、子どもの頃に絵本を多く読んでもらった経験から、久保建英さんにも読み聞かせを徹底したといいます。
自宅には、絵本が400冊以上もあり、週に数十冊は必ず読んでいたんだとか。
次第に久保建英さん自ら読書をするようになっていたそうです。
また、自ら考える姿勢を身に付けるために、遊びの中や日常生活で
- 「何があった?」
- 「どうだった?」
と、質問を繰り返していました。
こうすることで、考えて話す習慣が身につき、分け隔てなく質問できる力も身についていったといいます。
実際に久保建英さんは、海外のチームでも億すことなく「わからないことはすぐに聞く」という姿勢を評価されています。
このような熱心な教育方針から、久保建英さんのような選手が生まれたのではないでしょうか。
久保建英の兄弟は弟1人!
- 名前 久保瑛史(くぼ えいじ)
- 生年月日 2007年生まれ
- 年齢 15歳(2022年現在)
- 身長 推定170~175cm
- 体重 推定60kg
- 所属 横浜・F・マリノスジュニアユース(U-15)
- ポジション 攻撃的MF・左サイドハーフ
久保建英さんには、6歳年下の弟・瑛史さんがいます。
瑛士さんは、建英さんや母親と共に、3歳~8歳までスペインで過ごしました。
現在、瑛史さんは、横浜・F・マリノスジュニアユース(U-15)に所属。
ポジションは、建英さんと同じ「攻撃的MF」といわれており、将来が期待される注目株の選手です。
瑛史がソシエダの下部組織の(公式戦ではない)試合に出場し、「兄のレベルと才能を想起させるクオリティを見せ、好パフォーマンスを披露した」と伝えていた。
引用:news.yahoo
久保瑛史さんについての詳しい情報は、こちらの記事をご覧ください↓
https://www.actagainstaids.com/kubotakehusa-otouto/
まとめ
今回は、久保建英さんの家族について調べてみました。
両親の熱心な教育方針を受け、世界で活躍する久保建英さんの活躍を応援していきましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。