お笑いコンビ「オードリー」のツッコミを担当する若林正恭さん。
近年では、司会者としても定評がありますよね。
今回は、そんな若林正恭さんの家族について調べていきたいと思います。
若林正恭の家族構成まとめ
はじめに、若林正恭さんの家族構成を確認していきます。
- 父親
- 母親
- 姉
- 若林正恭さん
若林正恭さんは、両親と姉の4人家族で育ちました。
2人姉弟の弟だったんですね。
それでは、1人ずつ詳しく見ていきましょう!
若林正恭の父親はサボりすぎでクビ8回?
若林正恭さんの父親は、若林喬彦(わかばやし たかひこ)さんといいます。
喬彦さんは、2017年10月に肺がんにより逝去されています。
若林正恭さんは、ラジオなどで喬彦さんの破天荒なエピソードを度々披露しており、具体的に見ていきましょう!
仕事を8回クビに
若林喬彦さんは、もともと営業マンをされていたそうです。
しかし、喬彦さんにはさぼり癖があり、仕事の途中に営業車で帰宅し、昼寝をしていたことが発覚。
クビになってしまったんだそうです。
他にも、朝まで麻雀をして仕事を休むなどさぼり癖が治らず、転職を繰り返していたのだとか。
一時は、若林正恭さんの祖母が経営する「食堂・林」の隣にある「喫茶・林」でマスターをしていたこともあるそうです。
若林正恭さんは、喬彦さんが仕事を8回クビになっていたことを大人になってから知ったといい
と語っています。
生活が不安定な時期もあったんですね。
思い出は野球の試合
若林喬彦さんは、とにかく破天荒な性格だったそうです。
若林正恭さんが幼少の頃に家族で広島焼を食べに行ったところ、喬彦さんは「そば抜き」を注文。
お店の人から注意されると
「金はある!」
と言い争いになり、クレープのような広島焼きを食べることになってしまったんだとか。
また、若林正恭さんは、喬彦さんとの忘れられない思い出に野球の試合を挙げています。
2人で巨人・阪神戦を観に行った際に、巨人ファンが負けた悔しさにビールのコップを投げつけたのを見た喬彦さんは
「ビールの紙コップを投げたのは巨人ファンですよ。」
と言ってしまい、その男性に抑え込まれてしまったんだそうです。
ちなみに喬彦さんは阪神ファンだったそうで、若林正恭さんはとても恥ずかしい思いをしたといいます。
今となっては、笑い話になっているのかもしれませんね。
教育方針は気合と根性
若林喬彦さんの教育方針は「気合と根性」だったそうです。
喬彦さんが昭和の男だったのに対し、若林正恭さんは気弱で喧嘩が弱かったのだとか。
喧嘩に負けて帰ってくると
「もう1回行ってこい!」
と、送り出されたといいます。
また、若林正恭さんが小学校4年生の時に父子で野球チームへ入団すると、コーチの喬彦さんは監督とよく喧嘩をしていたんだそうです。
そこで、1試合だけ喬彦さんが監督を務めると、チームは大敗。
コーチに戻ることとなったそうです。
ちなみに、3塁コーチャーをしてよく肩を外していのだとか。
子どものこととなると、一生懸命で熱い方だったのではないでしょうか。
一時は絶縁状態に
若林正恭さんは、2008年末頃まで喬彦さんと絶縁状態にあったそうです。
その理由は
若林正恭さんがお笑い芸人として芽が出ず、定職に就かないでいたから
でした。
当時、若林正恭さんは実家で暮らしており、お笑い芸人として結果が出せずにいました。
また、定職に就いていなかった為、喬彦さんから
「定職に就くか、家を出て芸人を続けるか選べ」
という選択を迫られたんだそうです。
この時、喬彦さんは司法書士に念書の作成を依頼するほど本気だったのだとか。
それだけ息子の将来を案じていたんですね。
その結果、若林正恭さんは実家を出てお笑い芸人を続ける覚悟を決め、喬彦さんとは絶縁状態となってしまったそうです。
M-1出場後、和解へ
実家を出てお笑い芸人を続けていた若林正恭さんは、2008年末に行われた「M-1グランプリ」へ出場。
見事、準決勝まで進出を決めます。
この放送を見ていた喬彦さんは、不思議な縁を感じたといいます。
オードリーのエントリーナンバーが「4431」だと知った喬彦さんは
「阪神ファンの俺の為にその番号を選んだのか!」
と考えたそうで、この数字は
- ランディ・バース選手の背番号=44
- 掛布雅之選手の背番号=31
を掛け合わせたものだと思い込んでいたのだとか。
絶縁状態にあっても、若林正恭さんのことを応援し続けていたんですね。
その後、若林正恭さんは2009年に2年ぶりに帰省し、喬彦さんと和解に至ったそうです。
若林正恭さんの活躍を1番喜んでいたのは喬彦さんだったのかもしれませんね。
結婚の決め手は父親の一言
若林喬彦さんは、2016年から肺がんを患い、闘病生活を送っていました。
仕事の合間を縫って毎日お見舞いに通う若林正恭さんに、喬彦さんは
「お前は結婚しないのか。結婚っていいよ、やっぱり。」
と語りかけたんだそうです。
喬彦さんは、口には出さずとも「結婚して良かった」とずっと思っていたといい、この言葉を聞いた若林正恭さんは
感じたそうです。
その後、若林正恭さんは2019年に交際3カ月でスピード結婚をしており、結婚の決め手となったのはこの時の喬彦さんの言葉だったといいます。
素敵なエピソードですよね!
人生観を変える時間
若林正恭さんにとって、喬彦さんと過ごした最後の1年は人生観を変える時間だったといいます。
若林正恭さんが死期が近づく喬彦さんに「何か食べたい物はないか?」と聞くと
「コンビニのソフトクリームが食べたい」
と返ってきたそうです。
この言葉を聞いた若林正恭さんは
と語っており「世の中は楽しいことで溢れているんだな」と感じたのだとか。
また
とも語っており、喬彦さんから
真っ直ぐに物事を見る
ということを教わったといいます。
そんな喬彦さんは、若林正恭さんにとって
なんだそうで、大きな影響を与えた人だったんですね。
若林正恭の母親はマッサージ師?
若林正恭さんの母親は、若林節子さんといいます。
節子さんは島根県柿木村の出身で、実家の周りは豊かな自然で溢れており、クワガタやカブトムシ、30cm超のオニヤンマなどもいたそうです。
また、節子さんの職業がマッサージ師という情報がありましたが、これは誤りで後述する姉の職業がマッサージ師になります。
家族でCM出演
若林正恭さんは、小学2年生の時に家族で「花王」のCMに出演しており、テレビの取材も受けていました。
当時の画像がこちら。
左に映っているのが節子さんで、お綺麗な方ですよね!
どちらかというと若林正恭さんは父親の喬彦さんに似ているでしょうか。
若林家にとってこのCMは記念の作品になっているのかもしれませんね。
母親の実家を出禁?
若林節子さんは、親戚から夫の喬彦さんとの結婚を反対されていたそうです。
結婚前に喬彦さんを連れて親戚の家に挨拶に行ったところ、兄から
「お前(喬彦さん)みたいなやつはダメだ!」
と言われてしまい、怒った喬彦さんはその場で兄を殴ってしまったのだとか。
この騒動によって喬彦さんは節子さんの実家を出禁になってしまったといいます。
破天荒な喬彦さんらしいエピソードですよね。
それでも節子さんは喬彦さんが亡くなる前に、夫婦で手を取り合って
「結婚してよかったね。2人でよく頑張ったね。」
とお互いを称え合っていたそうです。
どんな時も愛情深く家族を支えてきた素敵な方なんですね!
若林正恭の姉はどんな人?
若林正恭さん姉は、若林史恵さんといいます。
年齢は、若林正恭さんの2歳年上で46歳。(2023年7月現在)
前述の通り、職業はマッサージ師をしており、若林正恭さんが練習台になることもあるのだとか。
そんな史恵さんと若林正恭さんは、恋人と間違えられて週刊誌に写真が掲載されるほど仲良しなんだそうです。
史恵さんにとって若林正恭さんは自慢の弟なのではないでしょうか。
若林正恭の「姉」が嫌?
若林文恵さんは、若林正恭さんの姉であることが嫌なんだそうです。
その理由は
史恵さんが笑いを取ると「さすがオードリーの姉!」と言われてしまうから
なんだとか。
また
若林正恭さんの面子を守るために、常に良い人でいなければならない
とも感じているそうで、弟思いの優しい方なんですね。
売れっ子の若林正恭さんの姉ならではの悩みなのかもしれませんね。
姉だけの特別ルール
若林家には、「カードゲームで負けた人が家族分のアイスを買いに行く」というルールがあったそうです。
しかし、史恵さんが負けた場合
特例で家族全員でアイスを買いに行く
というルールになっていたのだとか。
史恵さんが女の子という事もあって、心配だったのかもしれませんね。
子どもの頃の若林正恭さんは、この特例に納得がいかず、喧嘩をしてしまうこともあったそうです。
仲良しの家族らしく微笑ましいエピソードですね!
まとめ
今回は、若林正恭さんの家族について調べてみました。
若林正恭さんは、両親と姉の4人家族で、父の喬彦さんは破天荒な性格ながら若林正恭さんに大きな影響を与えた人物であることがわかりました。
若林正恭さんの優しい雰囲気は、仲の良い家族のもとで育ったからなのかもしれませんね。
今後の更なる活躍を応援していきましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。