人気フォークデュオ「ゆず」のリーダー・北川悠仁さん。
北川悠仁さんどのような家庭で育ったのでしょうか?
今回は、北川悠仁さんの家族についてまとめていきたいと思います。
北川悠仁の家族構成まとめ
北川悠仁さんの家族構成は以下の通りです。
- 父親:北川和男さん
- 母親:北川敬子さん
- 兄:1人
- 姉:3人(名前不明)
- 末っ子:北川悠仁さん
北川悠仁さんは、5人兄弟7人家族の大家族で育ったんですね!
北川悠仁の父は宗教法人の会長?
画像の人物が北川悠仁さんの父親、北川和男さんです。
北川悠仁さんと優しそうなタレ目が似ているように感じます。
父親は経営者の傍ら、かむながらのみちの会長も
北川精密工業株式会社という企業の経営者だったようです。
北川悠仁さんは神奈川県横浜市出身で、実家は磯子区岡村にあります。
父親が企業の経営をしていたことから、幼い頃から裕福な暮らしをしていたとの噂です!
後述しますが北川悠仁さんの父親は「かむながらのみち」を信仰されていました。
そして経営者のかたわら「かむながらのみち」の会長としても活動していたようです。
父親は2008年に死去
北川悠仁さんの父親は、家族を大事にする温和な方だったそうです。
そしてとてもゆずを応援している人でした。
そんな北川悠仁さんの父親は2008年に死去しています。
2009年12月31日放送の紅白歌合戦。
ゆずは「逢いたい」という曲を歌いました。
実は、逢いたいという楽曲は北川悠仁さんが父親に捧げるために作った歌なのだそうです。
「想いを込めて歌いました。(天国の父に)届いたと思います」
引用元:ORICON NEWS
と語っていた北川悠仁さん。
NHK紅白歌合戦では、父親の写真を持参していたとそうです。
お父様のことが大好きだったのですね。
北川悠仁の母も宗教法人関係者?
画像の人物が北川悠仁さんの母親、北川敬子さんです。
母親の北川敬子さんは、なんと宗教家で「かむながらのみち」という宗教法人の教祖なんです。
母親は宗教法人「かむながらのみち」教祖
「かむながらのみち」は、1999年5月5日神奈川県横浜市磯子区岡村に創立された宗教団体です。
北川悠仁さんの母親・敬子さんは「かむながらのみち」では慈敬と名乗っています。
会長は北川和男さんとなっており、北川悠仁さんの父親なので家族で創立したことになります。
かむながらのみちの由来はというと、「神ながらの道」と書いて、神道を意味するのだそう。
「神仏和合の精神を根幹にした在家宗教」ともいわれています。
日々の祈りと生活を基本に活動しているとのことです。
また、かむならがのみちの本部は横浜です。
その他、北海道・富山・奈良・神戸・東京・名古屋と様々な地域が拠点となっています。
信者の数は1000人以上いるそうです。
また北川敬子さんは以前は宗教法人、解脱会に入会していました。
解脱会で布教活動を始めていたそうのですが、北川悠仁さんのスキャンダルで脱会したのです。
教団設立のきっかけは北川悠仁出演のVシネマ絡み
北川悠仁さんの母親・敬子さんが解脱会にいた時には同じ信者たちが、ゆずの曲を購入してくれたり活動を支援してくれたりしていたそうです。
しかし1999年、北川悠仁さんはVシネマ「女子高生コンクリート詰め殺人事件~壊れたセブンティーン~」に出演。
この映画は実際の事件を再現したもので、内容があまりにも過激だった為に教団内から批判が相次ぎました。
解脱会で問題視されてしまい、家族である北川敬子さんは脱会したんだそうです。
ですが敬子さんは脱会後、わずか3ヶ月で宗教をつくり教祖になったのです。
北川敬子さんのカリスマ性が非常にすごいと話題になったようです。
宗教法人を作ってしまうとは相当凄いことですよね。
「かむながらのみち」総本山の身曾岐神社は北川悠仁名義?
かむながらのみちの総本山は、山梨県にある身曾岐神社といわれています。
身曾岐神社は所有者は「かむらながらのみち」となっていますが、購入したのは北川悠仁さんなのだとか。
昔、レギュラー放送していた「ゆずのオールナイトニッポンGOLD」で身曾岐神社を分割で購入したことを明かしていたそう。
身曽岐神社は2004年から宗教法人かむらながのみちの所有となっているのでこの頃のことだと思われます。
ゆずのファンである方にはおなじみの場所なんだそうです!
ゆずとしては布教活動を行っていませんが身曾岐神社にはゆずの絵馬やお守りが販売されています。
「かむながらのみち」と北川悠仁さんが関係していることは間違いないかもしれません。
また2006年以降定期的にこの身曾岐神社でゆずはライブを行なっています。
そして北川悠仁さんは、妻である高島彩さんとの結婚式も2011年10月20日に身曾岐神社で行っています。
北川悠仁の妻・高島彩も入信した?
高島彩さんは、2011年に北川悠仁さんと結婚し、結婚式は身曾岐神社で行っています。
2014年2月に一人目の女の子、2016年6月に二人目の女の子を出産。
そんな高島彩さんは、北川悠仁さんとは交際発覚時から「かむながらのみち」への入信が週刊誌などで噂されてきました。
結婚前には、何度か身曾岐神社を訪れる様子がスクープされていたようですが、真偽ついては不明です。
ただ、身曾岐神社で挙式を行ったことを考えると入信したのかな?
とも思ってしまいますが、北川悠仁さんの家族側の意見に従っただけの可能性もあますよね。
北川悠仁の兄・姉はどんな人?
北川悠仁さんは兄1人・姉3人がいる5人兄弟の末っ子となっています。
兄も姉も一般の方なため詳しい情報はありませんでしたが、エピソードはあったので紹介したいと思います。
北川悠仁はお姉さん子だった
北川悠仁さんの幼少時代はお姉さん子だったようです。
いつも3人の姉が遊び相手だったとか。
北川悠仁さんの柔らかい雰囲気はお姉さんと過ごした影響なのでしょうか。
また、北川悠仁さんが小学生の時に姉と喧嘩してしまった時に、あまりに激しかったのか、その隙に家に泥棒が入ってしまったのだとか!
翌日、学校から帰って来たら家の前が大騒ぎになっていたんだそう。
泥棒に気づかないほど大きな喧嘩だったのですね。
ゆず・北川悠仁の兄もかむながらのみちで活動中?
北川悠仁さんは兄とは17歳差あるそうで、兄弟というよりはちょっとした親子に近いですよね。
兄の名前は公表されています。
北川悠仁さんの兄の名前は大成さんと言います。
大成さんは真言宗の仏教僧との噂が。
もしかしたら母親が「かむながらのみち」の教祖ですので、兄も一緒に活動している可能性は高いですね。
兄のドラムから音楽に目覚める
北川悠仁さんは、お兄さんが使っていたドラムセットを借りて叩いてから音楽に目覚めたんだそうです!
デビュー前から作曲をしていたようですが当時は家族にバレないように、布団の中でこっそり録音していたそうですよ。
今の北川悠仁さんがあるのはお兄さんのおかげなのですね。
まとめ
今回はゆず・北川悠仁さんの家族について調査しました。
宗教や兄弟など意外な点も多かったですが本人はあまり隠している様子はありませんでしたね。
では最後まで読んでいただきありがとうございました。