ラグビー日本代表の一員である松島幸太郎選手。
実は南アフリカ、プレトリア出身、ジンバブエにもルーツを持つ選手なんですよ。
今回は松島幸太郎さんの生まれ育った家族について紹介します。
松島幸太朗の3人家族構成まとめ!
松島幸太郎さんの家族構成は以下のようになっています。
- 父親 ロドリックさん
- 母親 多恵子さん
- 松島幸太郎さん
松島さんは一人っ子、三人家族で育たれたようです。
松島幸太朗の父は元ジャーナリスト?
松島幸太郎さんの父親は、ロドリックさんです。
上の画像は松島さんとロドリックさんのツーショット、ロドリックさんはジンバブエの方なんです。
ジンバブエ人の父ロドリックと母多恵子(55)の一人息子として、南アのプレトリアで生まれた。6歳の時に東京都内に移住。
引用:東京新聞
ジャーナリストのロドリックさん、彼の仕事の影響で、3歳から4歳の頃は南アフリカと日本を行き来して過ごしたという松島さん。
6歳の頃から東京都内に移住して生活するようになりましたよ。
ロドリックさんはサッカーが好きで、松島さんはロドリックさんとボールを思い切り蹴り合うのが楽しみだったそう。
松島さんが中学一年生だった時の冬から、松嶋さんは両親の方針で一年間南アジアで過ごすことに。
その間はお父さんと二人暮らし。
ジャーナリストという仕事の都合上、単身赴任が多かったロドリックさん。
松島さんがロドリックさんとまとまった時間を取れたのは、この時期だけだったようです。
47歳の若さでこの世を去る
ロドリックさんは記者として南アジアで活動中だった時、47歳の若さで急逝されました。
死因は心臓の病気と言われています。
ただ汚職問題を追及したことで命を狙われたでは?という憶測もあり
詳しい死因はわかっていません。
最愛のお父さんが亡くなられたのは
松島幸太郎さんが高校二年生の1月の時のことでした。
松島はショックで2日間ほど自室に閉じこもったという。ちょうど高校日本代表の合宿に呼ばれていた。「ラグビーに救われた」と多恵子。合宿に参加し、楕円球を追った。
引用:東京新聞
松島さんはやはり父の突然の死に大層ショックを受け、二日間ほど自室に閉じこもったそうです。
タイミングは、丁度ラグビー高校日本代表の合宿に呼ばれていた頃。
最もキツイ時期のようにも思えましたが、松島さんはショックを振り切り合宿に参加。
お母さんが言うには、「ラグビーに救われた」とのことでした。
松島幸太朗の母はどんな人?
松島幸太郎さんのお母さん、多恵子さんはNGO(非政府組織)の研究員として活動されていました。
アパルトヘイトの問題にも関わり、現在は社会福祉士として仕事をされているそうです。
南アのアパルトヘイト(人種隔離)の問題に携わった。両親に黙って単身で南アの黒人居住区に滞在し、黒人差別の現場を目撃した経験があった
引用:東京新聞
お父さんが仕事で出ていることも多かった松島さんにとっては、お母さんは常に松島さんの側にいてくれた大切な存在。
自身の活動故、黒人差別の実態にも詳しかった多恵子さんは、少年サッカーのチームメイトなどから肌の色でからかわれた息子にも真摯に向き合いました。
褐色の肌をからかわれた。だが松島は、教師やチームの指導者にやめるよう抗議したという。「ノーならノー。意見を伝えることが大事」という多恵子の教えによるもの
引用:東京新聞
松島さんは自他ともに認めるほどのシャイな性格だったものの、お母さんの教えを胸に抗議を行ったのですね。
松島さんが留学し、お母さんの元から離れた際には、母が恋しい息子の気持ちを電話越しに感じることもあったそうです。
親の勝手でしたけど南アフリカで生活することは絶対プラスになると考えていました
私の方が『幸太朗の夢ばっかり見ちゃうよ』と言ったように記憶しています
引用:スポーツ報知
中学時代の息子の留学は両親の方針、「本人は戸惑っただろう」と言うほどの親の勝手ではあったそう。
それでも、後の松島さんの活躍を見ると、「南アフリカで生活することは絶対プラスになる」というのも間違いではなかったのでしょうね。
両親の馴れ初めは?
松島幸太郎さんの両親は、南アフリカで出会い結婚に至りました。
ジャーナリストとして内戦や差別問題などを命がけで取材していた新聞記者、ロドリックさん。
そしてNGO研究員としてアパルトヘイトなどの差別問題に向き合った多恵子さん。
二人が出会い、惹かれ合うようになったのも納得の背景です。
多恵子さんは現在59歳前後、ロドリックさんとは5歳前後の歳の差があったことになります。
スポーツの道へと進んでいく息子に、ロドリックさんは職業柄か「勉強をしっかりしなさい」とうるさいほどに言われていたそう。
生前の父からは、うるさいぐらい「勉強もしろ」と諭されていた。
「得意なもので結果を出したかった」と松島。自らの考えで大きな決断をした。
引用:東京新聞
一方お母さんは、父の死に直面した時にラグビーによって救われた息子が、ラグビーを極めていくことに反対せず、息子の意思を尊重し続けました。
両親はそれぞれの形で息子の道を応援していたのですね。
息子から貰った一番の贈り物
多恵子さんは、2019年に松島幸太郎さんからもらった一番の贈り物について語られています。
幸太朗がくれた一番の贈り物は現地で見た(第3戦の)サモア戦勝利の後、幸太朗が観客席に来て私の肩を抱き寄せて、写真を撮ってくれたことです
引用:報知スポーツ
初選出された2015年のワールドカップの時には、南アジア戦の先発を知って寝付けないほど喜んだという多恵子さん。
スポーツ選手ということで、「結果を出さなければならない立場」だとは思いつつも、多恵子さんにとってはそのことは大事ではないようです。
私はただ幸太朗がこの瞬間を精いっぱい生きてくれればいい。
自由な生きざまがにじみ出ている幸太朗のプレーを楽しみにしています
引用:報知スポーツ
ただ我が子がその瞬間を精いっぱい生きてくれればいい。
母親の愛情がこの上なく表れた言葉ですよね。
まとめ
今回は松島幸太郎さんの実家の家族について紹介しました。
波乱万丈な半生を経て、ラグビー日本代表となった松島選手。
両親もまた常人の辿らないような生活を送ってきたのですね。
松島幸太郎さんのこれからの活躍にも要注目です!