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中川翔子の父・中川勝彦はミュージシャンで32歳で死別!母はショーパブ経営者で超美人

中川翔子の父・中川勝彦はミュージシャンで32歳で死別!母はショーパブ経営者で超美人

タレント、歌手として活躍する中川翔子さん。

実は父親も役者や歌手として芸能界で活躍されていましたよ。

今回は中川翔子さんの家族について紹介します。

中川翔子の家族構成まとめ

中川翔子 家族https://news.yahoo.co.jp/articles/

中川翔子さんの家族構成は以下のようになっています。

  • 父親  中川勝彦さん
  • 母親  圭子さん
  • 中川翔子さん

中川さんには兄弟はいないようです。

一人っ子で育たれたのですね。


中川翔子の父・中川勝彦はミュージシャンで32歳で死別

中川翔子 父 中川勝彦https://news.allabout.co.jp/articles/o/

中川翔子さんの父親は中川勝彦さん。

ミュージシャン、俳優、声優などマルチタレントとして活躍されました。

  • 名前  中川 勝彦(なかがわ かつひこ)
  • 生年月日  1962年7月20日
  • 出身地  東京都文京区
  • 出身校  慶應義塾高等学校

会社社長の長男として生まれ、裕福な少年時代を過ごした中川さん、中学時代は生徒会長も務めていたそうです。

1980年、高校三年生の時にNHK「ヤングミュージックフェスティバル」に出場、これを機に芸能界デビューを果たしました。

高校卒業後は慶應義塾大学に進んだものの、多忙故か中退。

1981年公開の映画「ねらわれた学園1982年公開の映画「転校生などに出演し人気を博しました。

1980年代前半に、日本の歌謡界では珍しかったヴィジュアル系アーティストとして活躍。

美しいルックスと気さくで腰が低く茶目っ気のある人柄で関係者に親しまれました。

ラジオパーソナリティとしても才能を発揮していました。


1992年にこの世を去る

中川勝彦 中川翔子https://ameblo.jp/senna351103/

1992年9月、急性骨髄性白血病を発症

9か月の闘病生活を経て一度は復帰を果たすも、1994年8月に再発し、32歳でこの世を去りました

病状に関しては親しい知人にも詳細は明かしていなかったそう。

ラジオ番組を通して公私ともに交流していた兵頭ゆきさんや北野誠さんすら、人づてに「体調が悪いらしい」と聞いていた、ぐらいの状態だったようです。

見舞いの頃合いを検討していた折に突然の訃報を受け、言葉を失ったというエピソードが残っています。

なお、アイドル的な人気も持っていた中川勝彦さん。

イメージダウンを懸念し結婚の事実は当時は公にしておらず、このことも近しい関係者や僅かな友人にしか知らせなかったそうです。

子供がいることも明らかにせず、後年中川翔子さんが自ら明らかにするまで、芸能界の中ですら二人の親子関係は知られていなかったとされていますよ。

中川勝彦の趣味、特技

中川勝彦 http://dondonyaki.blog38.fc2.com/

怪獣映画や漫画を大変好んでいたという中川勝彦さん。

娘の中川翔子さんからすると、家での父親は「怪獣オタクの変なお父さん」だったそうです。

幼い娘に「楳図かずお作品やゲゲゲの鬼太郎を読まないとちゃんとした大人になれないぞ」なんて言っていたという情報も。

二人で本屋に出向き、漫画全集などを沢山購入し、一緒に楽しんだそうですよ。

また絵心にも優れた中川勝彦さんは絵本の執筆も行っていたそうです。

1994年、娘の9歳の誕生日には娘の好きな猫の絵を用いた手作りのバースデーカードを病床から贈ったのだとか。

二人が一緒にいられた時間は僅か9年間ほど。

ですが、漫画などの趣味も、高い絵心も、今の中川翔子さんには確かに中川勝彦さんの面影が感じられるのですね。

中川勝彦さんが生前描いたイラストは、中川翔子さんのイラスト作品集「ミラクルスケッチ」にいくつか収録されています。

1993年に刊行された彼にとって唯一の著書「未知の記憶 Unknown Memory」は、彼が入院中に病床で完成させたもの。当時幼かったしょこたんも制作を手伝った

引用:音楽ナタリー

また2011年には、中川勝彦さん唯一の著書である絵本「未知の記憶~Unknown Memory~」が復刻されていますよ。


中川翔子の母はショーパブ経営者で超美人

中川翔子 母https://news.yahoo.co.jp/articles/

中川翔子さんのお母さんは圭子さん。

サケ・マスのふ化事業を導入・推進したことで知られる伊藤一隆さんの曾孫という情報がありました。

2021年頃に中川翔子さんのYouTubeに投稿された動画によると、母娘の二世帯住宅で暮らしているそうです。

今、母が2階、私が1階で仕切られている2世帯住宅を建てまして、3年ぐらい経ったかな。あんまりお家の内部を詳しく出したことないんですよ。

引用:ENCOUNT

中川翔子さんとお母さんの仲は良好で、2006年の娘のファンクラブイベントにはスペシャルゲストとしてお母さんが登場したこともあったそうですよ。

二人でモーニング娘。の曲を踊りながら歌ったのだとか。

なんとも理想的な親子です。

1994年に夫を亡くしてからは、圭子さんは銀座のママや六本木のショーパブ経営をしながら、女手一つで一人娘の中川翔子さんを育ててきました

2020年には、港区の会員制ショーパブ「ミラクル」を閉店したという週刊誌報道が。

お店をどうしようか迷い始めたんです。新型コロナウイルスの問題は長期化するかもしれないし、お店を再開したとしても、万が一お客さんを感染させてしまったら申し訳ない

引用:女性自身

2020年というとコロナウイルスの流行が始まった年。

その影響で一度店を閉めたのですが、もしその後再開したとして万一お客さんにコロナウイルスを感染させてしまったら……と考えたのが閉店の理由だったそう。

昔からの常連が多い店だったこともあり、閉めることは悲しかったものの「家族のような人たちの健康には変えられない」と閉店を決意したのですね。

娘の中川翔子さんも、度々店には駆けつけていただけに寂しい思いはあったそう。

私の誕生日には駆けつけてくれました。夢を売るお仕事なので、“永遠の29歳”です。いまでは娘より年下ですよ(笑)。

引用:女性自身

それでも「長い間、本当にお疲れ様でした」と労ってくれたんですって。

本当に仲良しな親子です。

美人夫婦だった二人

中川翔子 母https://www.youtube.com/

圭子さんが中川勝彦さんと出会った時、勝彦さんは19歳だったとのこと。

芸能界デビューしたての頃になるでしょうか。

「母が出会った時、19歳だった父がすごい美少年だったらしくて、街を歩くとみんな振り返って。ディズニーで“女の子たちの目が、みんなハートだった”らしいです」

引用:YAHOO!JAPANニュース

芸能人として全国区で「美少年」と人気を博した勝彦さんですから、当然周りの女性は皆勝彦さんに夢中だったそう。

ただ、圭子さんも負けていませんよ!

二人が結婚式を挙げた後、二人まとめて芸能事務所からスカウトされたというエピソードも!

父・中川勝彦さんと母・桂子さんの結婚式の写真!

この後ふたりで芸能事務所にスカウトされたらしい、笑

引用:YAHOO!JAPANニュース

お母さんの画像が公開されるたびに「美人」「しょこたんにそっくり」といったコメントも多く寄せられていますよ!


まとめ

今回は中川翔子さんの家族について紹介しました。

父親を喪うというのはとても悲しいことです。

それでも、中川翔子さんがお父さんと共通の趣味や特技を持ち、非情に高いレベルに鍛えているというのは素晴らしいことですよね。