演技派俳優で名バイプレイヤーの大森南朋さん!
そんな大森南朋さんはどんな家族と育ったのでしょうか?
今回は大森南朋さんの家族について調査していきたいと思います。
大森南朋の家族構成まとめ
大森南朋さんの家族構成は以下の通りです。
- 父親:俳優の麿赤兒(まろ あかじ)さん
- 母親:大森桃枝さん
- 長男:映画監督の大森立嗣(おおもり たつし)さん
- 次男:大森南朋さん
大森南朋さんの父親も、兄も有名な方なんですね!
大森南朋さんは、
「最近一番親父と兄貴と俺、仲がいいんですよね。やっぱり信頼し合ってたりしますからね。」
と語っていました。
では、ご家族1人づつ見ていきましょう。
大森南朋の父親は俳優の麿赤兒
大森南朋さんの父親は俳優で舞踏家の麿赤兒(まろ あかじ)さんです。
スキンヘッドに強面のインパクト大な俳優さんですよね!
麿赤兒さんプロフィール
- 本名:大森 宏
- 生年月日:1943年2月23日
- 81歳(2024年4月時点)
- 出生地:石川県金沢市
- 身長:170 cm
- 活動期間:1964年 –
主な出演作品
- 美しい罠
- 山田太郎物語
- ルパンの娘
- 後妻業
- コンフィデンスマンJP
- やすらぎの刻〜道
- 劇場版の「ルパンの娘」
- 映画「翔んで埼玉」
大森南朋さんの父親・麿赤兒さんは数々の映画やドラマに出演していますね。
話題作にも次々と出演し、その怪演ぶりが注目されています!
父親は、一緒に暮らしている時は稽古場で寝泊まりをするなど、家族よりも舞台や舞踏を優先してしまう人だったそうです。
大森南朋は父親と似ている?
自身のインスタグラムを更新した大森南朋さんは麿赤兒さんとの比較2ショットを公開しました。
右側が父親の麿赤兒さんなんですが、目や鼻・口元などパーツがやはり似ていますよね!
大森南朋さんは、
「抗えないことってあるよねぇぇ」
とつづっています。
大森南朋、役者になるきっかけは父親
大森南朋さんは高校ではバンド活動をし、卒業後25歳までフラフラしていたそう。
そんな南朋さんを見かねた父親に、
「こういうのもやってみたら」
と俳優に誘われたのがきっかけで役者の道に進んだそうです。
大森南朋さん自身バンドをやっていたため、
俳優は人前に出る職業だし似ている感覚もあるかな?
と思いそこからオーディションにいくようになったようです。
お父様と同じ芸能の道を進まれている中、同じ道を進むことに抵抗、葛藤はありませんでしたか?と言う問いには、
父親に対しては、俳優というより舞踏家であるという認識の方が強かった。
お金も裕福ではなかったですし“今流行りの”二世タレントのような意識はなかったです。
と答えています。
ただ、仕事をし始めてから麿赤兒さんと大森南朋さんの関係性を周りが知るようになると、執拗に演出助手にいじめられたときはあったようです。
麿赤兒、孫にメロメロ
麿赤兒さんにとっての孫は、大森南朋さんと小野ゆり子さん夫妻の第1子となります。
誕生が報告されたのは、2019年の5月14日。
大森南朋さんと小野ゆり子さんの連名で、
「新しい家族を迎えられたことを、かけがえのない喜びと感じております。
同時に親としての責任を感じております」
と、書面によるコメントが伝えられました。
大森南朋さんの父親である麿赤兒さんが孫にメロメロというのは、2019年の番組中で大森南朋さんが披露したエピソードです。
大森南朋さんが「チマタの噺」という番組に2019年の11月に出演した際に生まれた赤ちゃんのいる病院に父親に来てもらったことを話します。
「赤ちゃんがこの世のもの(麿 赤兒さんのこと)とは思えない顔をしたんです」と話し更には、
「(父親が赤ちゃんの)足とかにチューしてましたよ」
とも伝え、司会の鶴瓶さんを驚かせていました。
赤ちゃんにチューするなんてもう溺愛ですね!
大森南朋の母親は?
大森南朋さんの母親は名前は小林桃枝さんと言って芸能人ではありません。
ですが、ある界隈ではとても有名で人気な方だったようですよ!
母親は喫茶「風月堂」で「女王」と呼ばれていた
大森南さんの母親・小林桃枝さんは新宿の喫茶店『風月堂』で働いているときに、その美しい容姿から女優や歌手に間違えられることもあったそうで当時は、
- 「(風月堂の)女王」
- 「ダダ」
と呼ばれていました。
『風月堂』は1960年代に大流行した名曲喫茶(レコードから流れるクラシック音楽を聴きながらコーヒーを味わう喫茶店)の草分け的存在。
若者文化の聖地とも言える場所です。
「ダダ」の由来はウルトラマンに出てくるキャラクターとは関係なく、既成の秩序や常識に対する否定、攻撃、破壊を特徴とするダダイズムからきているそうです。
大森南さんの母・小林桃枝さんと、父・麿赤兒さんが出会ったのも新宿の『風月堂』だったようです。
2児の親となった小林桃枝さんと麿赤兒さんですが、子どもがまだ幼い時期に離婚しています。
桃枝さんは舞踏に没頭する赤兒さんの代わりに、新宿で「ダダ」というバーを経営しながら女手一つで大森南朋さんと兄・立嗣さんを育てました。
麿赤兒さんは俳優の仕事の他にも舞踏家としても全国を回っていたため、ほとんど家にいなかったそう。
そのためすれ違いの生活が離婚の原因になったと言われているようです。
常識にとらわれない母親
また、母親は常識にとらわれない独特なファッションや生き方をしていたそうです。
母親・桃枝さんの常識にとらわれないエピソードとして、大森南朋さんの兄の立嗣さんが次のようにコメントしています。
「近所の不良みたいな子たちに寛容だった。そういう子たちとは普通、付き合うなと言うんですけど、『そういう子たちをむしろ呼びなさいよ』みたいな、そういう感じありました」
バー「ダダ」も常識にとらわれない人達が集まる人気のお店となり母親は「ヒッピー族のママ」と呼ばれ愛されたそうです。
大森南朋の兄・大森立嗣は映画監督
大森南朋さんの兄弟には兄で映画監督の大森立嗣さんがいます。
大森立嗣さんは父親への意識から高校生までは表現活動をむしろ避けており、野球や空手に熱中していたそうです。
映画にもほとんど興味がなかったようなのですが大学で映画サークルに所属したことから映画に興味を持ち始め、自主映画を作り始めます。
血は争えないのでしょうかね^^
大学卒業後は俳優として活動し、その後荒井晴彦監督、阪本順治監督、井筒和幸監督、ホンマタカシの短編映画など様々な作品で助監督を務めました。
2001年、自らプロデュースし、出演した『波』で第31回ロッテルダム映画祭最優秀アジア映画賞“NETPAC AWARD”を受賞。
それ以降は多くの作品を手がけ賞もたくさん受賞しています。
プロフィール
- 生年月日:1970年9月4日
- 年齢:53歳(2024年4月時点)
- 出生地:東京都
- 身長:172 cm
- 血液型:A型
- 職業:映画監督・俳優
主な作品
- 『ゲルマニウムの夜』
- 『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』
- 『まほろ駅前多田便利軒』
- 『さよなら渓谷』
- 『セトウツミ』
- 『光』
- 『日日是好日』
家族で共演も多数あり!
大森南朋さん、父親の麿赤兒さん、兄の大森立嗣さんはこれまで共演を多数しています。
- 06年「ゲルマニウムの夜」
- 11年「まほろ駅前多田便利軒」
- 14年「まほろ駅前狂騒曲」
立嗣さんが監督をし、南朋さんと父・赤兒さんが役者として出演されています。
大森南朋さん単体では、
- 06年「ゲルマニウムの夜」
- 11年「まほろ駅前多田便利軒」
- 13年「さよなら渓谷」
- 14年「まほろ駅前狂騒曲」
- 22年の「グッバイ・クルエル・ワールド」
など兄・立嗣さんの作品に出演しています。
ちなみに、撮影現場だと南朋さんは兄の立嗣さんに対して敬語なんだそうです!
また、現場では父の赤兒さんも息子であり監督でもある立嗣さんの指示に従っているそうです。
いい気持ちですよ息子に指図されるのは。
そんなに現場を騒がしてもしょうがないし。
「監督、どうしたらいいでしょうか」とか言いながら、おとなしくやらせてもらってます。
とのこと。
みなさんプロフェッショナルですね!
大森南朋、兄を「やるな」と思う
大森立嗣さんが監督を務め、大森南朋さんは役者として出演した映画「さよなら渓谷」。
今作は世界四大映画祭の一つである第35回モスクワ国際映画祭のコンペティション部門出品に日本映画として唯一出品。
「洗練された演出と人間関係の深い理解」が審査員に評価され、審査員特別賞を受賞するなど国際的にも高い評価を得ています。
この「さよなら渓谷」の完成披露試写会に出席した大森南朋さん。
メガホンをとる兄・大森立嗣さんについて、
「兄弟なので複雑な気持ちだが、すごい映画になったのは事実。正直『やるな』と思った」
と手放しの絶賛。
それでも、
「俳優と監督という距離感を保っていたつもりだが、途中から兄貴にダメだしされている感覚でイラっとしました(笑)」
と率直な気持ちも明かしています。
素直に兄を凄いと思えるのはとても素敵ですよね!
まとめ
今回は大森南朋さんの家族について調査しました。
母親は一般の方とはいえ、家族みんな有名人でしたね!
迫力のある家族です。
では最後まで読んでいただきありがとうございました。