「医龍」シリーズなどでお馴染み、俳優として活動していた坂口憲二さん。
体調不良の影響で無期限活動休止されたものの、2023年のドラマ「風間公親ー教場0ー」に出演し話題になりました。
今回は坂口憲二さんの実家の家族について紹介します。
坂口憲二の家族構成まとめ
坂口憲二さんの家族構成は以下のようになっています。
- 父親 坂口征二さん
- 母親
- 兄 坂口征夫さん
- 坂口憲二さん
坂口さんにはお兄さんが一人、4人家族で育たれたのですね。
坂口憲二と父と兄はプロレスラー
坂口憲二さんのお父さんはなんと元プロレスラー!
お兄さんもプロレスラーなどの活動をされているんですね!
坂口さん本人も柔道二段の腕の持ち主。
TBSの「スポーツマンNo.1決定戦 芸能人サバイバルバトル」に二度エントリーされるなど、スポーツマンとして知られています。
なんでも、中学までは柔道の経験がなかった坂口さん。
にもかかわらず、父親のコネで明治大学中の高等学校にスポーツ推薦で進学したんですって!
どれだけお父さんの名前に力があったんだという話になりますが、それもお父さんについてより深く知ると納得の話だったんです。
坂口憲二の父は「世界の荒鷲」こと坂口征二
坂口憲二さんのお父さんは、元プロレスラーの坂口征二さん!
年齢は2023年現在81歳、憲二さんは征二さんが34歳の時のお子さんということになります。
- 本名 坂口 征二(さかぐち せいじ)
- 生年月日 1942年2月17日(2023年現在81歳)
- 身長 196㎝
- 出身地 福岡県久留米市
- デビュー日 1967年8月5日
- 引退日 1990年3月15日
高校時代に柔道三段を取得した征二さんは、1965年に全日本柔道選手権で優勝。
同年の世界柔道選手権では銅メダルを獲得しました。
征二さんは当初、柔道の選手だったのですね。
その後プロレス転向を決意、1967年に日本プロレスに入団しました。
リングネームは本名の他「ビッグ・サカ」、「ジャイアント・サカ」、「マイティ・サカ」、「セイジ・サカグチ」など。
身長が2m近くありますから、ビッグ・サカと呼ばれるのも納得ですね。
アメリカ合衆国で武者修行を行い、日本帰国後はジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんに次ぐスターとなった征二さん。
第2回NWAタッグ・リーグ戦ではアントニオ猪木さんとのコンビで優勝、1972年にはUNヘビー級王座を獲得しました。
その後はジャイアント馬場さんともコンビを組みましたよ。
二人のタッグチーム名は「東京タワーズ」、巨人二人のチームですからこれもまた納得です。
1976年にはEWU世界スーパーヘビー級王座を奪取、初の世界タイトル戴冠を果たしました。
その後も様々なタイトルを巡って好勝負を演じ続け、1989年には新日本プロレスの社長に就任。
1990年に社長業専念のため、現役を引退しています。
2005年、自らが主宰する「坂口道場」をオープン、後進の指導にも当たりました。
2023年には日本プロスポーツ大賞スポーツ功労者顕彰を受賞していますよ。
一方で2017年には現役時代からの古傷の右肘尺骨が悪化、箸や筆さえ持てなくなり、入院、手術を行っています。
息子の憲二さんとは、2005年のホンダ・エアウェイブのCMで共演。
また2003年に限定リング復帰を果たした際には、憲二さんがセコンドについていますよ。
坂口憲二の兄は坂口征夫
坂口憲二さんのお兄さんは坂口征夫さんです。
年齢は憲二さんの3つ上。
征夫さんもプロレスラーなんですよ!
- 本名 坂口 征夫(さかぐち ゆきお)
- 生年月日 1973年7月26日(2023年現在50歳)
- 身長 177㎝
- 出身地 東京都世田谷区
- デビュー日 2007年4月27日
中学、高校時代は柔道を行い、柔道三段の腕前を持っています。
高校卒業後、建設会社に就職、土木作業員として勤務し1級土木施工管理技士の資格も取得。
27歳の時には空手を始め、東都空手道選手権で準優勝、ルーキーチャレンジカップで優勝するなどの実績を残しています。
その後30歳で総合格闘家に転身、2007年にプロデビューし、同年のうちにプロ初勝利。
2010年に体のダメージを理由に現役引退を発表するも、8か月後に格闘家として現役復帰。
この際に「次引退する時は死ぬとき」と、生涯現役宣言をされていますよ。
2012年以降はプロレスの試合にも出場するようになりました。
2015年8月にKO-D無差別級王座初戴冠、第54代王者となっていますよ。
征二さんの坂口道場は、後に征夫さんが禅譲されています。
また征夫さんはもともと専務として建設会社に勤務していましたが、2010年7月に独立。
水道管工事を主に手掛ける会社を設立しました。
同会社で東日本大震災で被災した福島県小名浜地区での工事を依頼され、水道管復旧工事に従事しましたよ。
高校卒業以来、土木建設の仕事を続けてきた坂口征夫が、被災地である福島県いわき市、小名浜での水道復興工事を終えて帰京した。
引用:シネマトゥデイ
この時の作業は、まだ余震も止まない中だったこともあり死と隣り合わせだったそうですよ。
また、征夫さんは俳優としても活動。
2010年の映画「裁判長!ここは当駅4年でどうすか」に出演されています。
非常に多岐にわたって活動した征夫さん。
一方で父親や次男と比較されて、コンプレックスの塊だったとも語っています。
20代の前半は、大きな劣等感を抱えながら現場に向かう日々だった。そのころの自分を「なんでおれだけ……って、本当にコンプレックスの塊でした」
引用:シネマトゥデイ
ある程度年齢を経てから、空手に始まり、格闘家の道へ進んだのは、そのコンプレックスを解消するためだったのかもしれませんね。
坂口憲二の母は元女優で超美人?
こちらが坂口憲二さんの家族写真です。
後ろの女性が坂口さんのお母さん。
実は元女優なのではという説も!
東宝女優というのも納得、とても美人な方ですね!
ただ、坂口さんのお母さんについての詳しい情報は見つかりませんでした。
まとめ
今回は坂口憲二さんの実家の家族について紹介しました。
事務所を独立し、新たな活躍に期待がかかる坂口さん。
これからの動向にも要注目です!